臓器移植法の改正が進められるかもしれないとのことです。
もちろん、医療の進歩によってたくさんの人の命が救われるのは大切なことだと思います。 でも、ドナーの人権も尊重されなければなりません。 現在は心停止も「死」を決定する要素の一つのため、心臓移植はドナー側の意思表示があった場合のみしか行われないそうです。 もし、CHARCOが脳死状態に陥って、自分の体で助かる人がいるのなら、私は提供できるるものは全部あげたいです。 何をもって「死」とするかは難しいと思います。勿論これは肉体的な「死」を指しているのですが、果たして脳死は「死」なのでしょうか?全ての脳機能が停止するということは、恒常性も維持されないわけで、肉体をそのままの状態に維持し続けることは不可能なわけです。(人工呼吸等、外側からのメンテナンスが必要なんですね。)果たしてそのとき人は「生きている」のでしょうか?「生かされている」のでしょうか?命は心臓に宿るのでしょうか?脳に宿るのでしょうか? つい最近も米国で植物状態の患者の栄養剤投与のチューブを抜くか抜かないかという論争が取り上げられました。彼女は「生きよう」としていたのでしょうか? 毎日新聞より。
by charco-y
| 2005-04-07 17:11
| Thought
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